席も場所もない夢
「席がない」「あるはずの場所なのに消えている」系の夢を見た。まず前段階として、私は親戚の男性に何かの場所と日時を伝えられているのだが、私があわてて大学ノートとペンを取り出すと「そうそう、メモを取らないとね」などと言われ、私はその人の妙に見下した態度が好きでなく、少し腹を立てる。
場面は変わり、あるホテルの中。大きい会議室くらいのスペースで、何かの食事会が行われている。私は結局メモをとれなかったのか、手に大学ノートを持ったまま、その親戚の男性からもう一度聞き出そうと機会をうかがっている。しかし当の彼は周囲と楽しく談笑しており、なかなか割って入るチャンスがない。
私はいらいらしつつ、いったんあきらめて席につこうとしたところ、自分が座れる席がどこも開いていないことに気づく。うろうろして開いているか微妙な感じの席を見つけて周囲に尋ねるもあいまいな返事。ふとテーブルの下を見ると何やら名前の一覧みたいなものが貼ってあり、どうやら皆それに気付かずに好き勝手に座っていた様子。会場が少しわちゃわちゃし始めたところで、私は積み重なったフラストレーションもあり腹を立てて会場を出て行ってしまう。
せっかくなのでホテルの中を見回っていたが、そろそろ状況が変わっているかも、と会場に戻ってみたところ、自分の席どころか、会場自体が消えている。そもそも雰囲気そのものが完全に変化していて、どちらかというと自分が戻ってくるべき場所を間違った感じ。
別の階に行っていたわけでもないし、そんなに遠くまで行っていたわけでもないけど、念のために別の階に移動して調べる。しかし見つからず、ひとしきりじたばたした後、私は皆と合流するのは多分無理なんだろうなと悟り、自力で一人で帰ろうと決め、ホテルを出て、公共交通機関に乗り、なぜか降りる。
うっすらリゾート感のある街をあてもなく歩いていたところで、携帯電話の存在を思い出し、見てみると7件とか9件とかの着信履歴。見るとそのうち一つが「みんなが共有したタイプの嫌さだったんだよ」という独特なメッセージで、わたしはそれを「あなたが腹を立てたのは無理もない、だから気にするな」という慰めの言葉と受け取り、ありがたいなと思う。
しかしそれで状況が変わるはずもなく、そのあとも何かしたような気もするが、目を覚ますと十一時を過ぎているわ、部屋はクーラーも扇風機もタイマーが切れて蒸し暑いわ、全身だるいわ痛いわ、寝れば治ると思っていた喉の奥の痛みも大して治っていないわ、休日で用事もなかったので特別な問題はないが、夏の動きやすい午前中の時間を台無しにしてしまった、というがっかり感ですっとんでしまった。覚えていてもそこまで大きい展開ではなかったと思う。
「席がない」「さっきまであった場所がなくなってる」というのは私の夢の類型でよくあるんだけど、最後に他の人から慰めが入る展開は新しい。しかし起床した今改めて考えると、慰めではなく「みんな我慢していたのに君だけ腹を立てて出ていったのはおかしい、君も我慢すべきだった」という非難だったようにもとれる。
このシーンは「これを『私』はポジティブに受け取ります」というシナリオありきで脳が作り出した内容だったんだろうか。それとも脳は単に場面を作り出して『私』に送出したのみで、『私』がどう思うかは一切関知していないんだろうか。もし前者なら『私』はあらかじめ決められた創作世界の中でじたばたしていたということになるし、後者なら夢を生成する脳の部位と『私』である脳の部位は違う場所だということになる。そして『私』の思考や行動のフィードバックを受けつつ、リアルタイムに次の場面を生成し続けている、ということにもなる。
何かで『人は世界の中に生きているのではなく、世界を自分の心の中に映して、その世界の中で生きている』というような話を読んだ。となると、普段『世界を心の中に映して』いる脳の部署が、ストレージに保存された記憶を勝手に使って世界を作って、それをあたかも現実世界のように『私』に見せている、というのはいかにもありそうな話だ。これは人生に興を添えるためではなく、夢を見ている際にしゃべったり手足を動かしたりする人もいるように、心は『私』を起きているかのように錯覚させることで、危機に見舞われた際に一刻も早く逃げ出せるよう復帰可能な状態にしているのかもしれない。
だとすれば、『私』がフィードバックした言動や思考をリアルタイム反映する必要もなく、単に『私』に提示されている一人称風の書き下ろしストーリーを、『私』は勝手に自分の言動や思考のように体験・ロールプレイングしているだけ、という可能性もある。というか私は見たことないけど三人称の夢というのもあるらしいので、むしろその可能性が高い。これなら「思っていることとやっていることが一致していない」「やりたくないのにやり続けてる」みたいなパターンがあることにも説明がつく。しかし一人称の夢と三人称の夢ではそもそも見るシステム自体が異なるという可能性もある。
夢が脳による創作ストーリーのロールプレイングなら、それを夢だと気づかずに最後まで体験してしまうのと、夢ではない現実世界を生きるのとはどう違うのか、という話でもある。よく夢日記をつけると夢と現実の区別がつかなくなって精神に異常をきたすとか言われるが、こういうことを延々と考えはじめると、そうなるのかもしれない。
このあたり、調べれば脳科学の研究成果とともにあっさり結論は出そうだ。しかしあえて調べずに頭の中で転がしていると何かアイデアが出そうでもあるので、あえて調べないでおく。
冒頭のくだり、普段は「メモを取らないとね」と言われても別に腹を立てることなんてないのだが、なぜかその時は自分の記憶力の悪さをやたら皮肉られているようで腹が立った。そういう親戚は心当たりがないので、おそらく架空の人物。
あとホテルは、どちらかというと大きめの旅館といったところで、もっと言えば学校のような雰囲気だった。どこまで歳を取っても学校というのはついてくるんだなと思わざるを得ない。